2008.10/18(Sat)
父の命日を前に偲ぶ。。。
最初に。。。
今までにナイ長文なので、お時間のある方だけお付き合い願います(^_^;)
ジィの母上たちと出かけた時、お仏壇の話題が出た。
うちにも父のお仏壇があるって言うと
『いくつで亡くならはったん?』
まだ私のことをあまりよく知らない母上達(^_^;)
『51で肝臓癌で・・・』
『えぇ!若いなぁ・・・』
今からちょうど10年前の10月28日が命日。
あと10日かぁ。。。
改めて考えると、ホンマに若かったよな。。。
51歳って言ったら、ジィの来年やん(^o^;)
父のことをどっかで書いたかもしれないケド
過去記事を探し切れなかったんで、命日を前にしてちょっと書いておこうと思う。
父は、4度離婚している。
私はしっかりその遺伝を受け継いでるって感じもするが(笑)
最期は結局、一人だった。
彼女は居たケドね(^_^;)
女性関係はホントお盛んで。。。
以前、書いた記事にも笑うしかないエピソードが こちら⇒ 象の背中
私の産みの母とも、父の浮気が原因で私が生後3ヶ月の時に離婚した。
浮気相手と結婚したが、私とは一緒に生活することもなくその相手は亡くなった。
飛び降り自殺だったらしい。
まだ子供の頃に、親戚のおばさんからその話を聞かされた。
理由は知らないケド。。。
そして、3人目との結婚生活で初めて4年間だけ私も一緒に暮らした。
その時のハナシは、 こちら ⇒ 誰も知らない
で、少し触れているし他にもどこかにチョコチョコ書いてると思う。
こんな生活だったケド、私にすれば初めての家族生活。
若くてキレイな継母はそれなりに自慢の人だった。
父と離婚して5年後ぐらいに亡くなったらしいケド・・・。
4回目の結婚では、うちの長男と1ヶ月しか誕生日が変わらない子供まで作った父。
オイオイヾ( ̄o ̄;) と思ったが、考えたら当時まだ38歳やったワケで( ̄m ̄〃)
別におかしいことでもなかったんよね(^_^;)
結婚したのは私が11歳の頃。
すぐに女の子をもうけた。
もちろん一緒には暮らさず。。。
私には合計、3人の腹違いの弟妹がいるってことになる。
知らないトコで他にも居たりして(笑)
そんなこんなで、しばらくは音信不通。
私も結婚したり、離婚したり、再婚したり(笑)
と勝手気ままに生きていたし。
だからと言って、私はそんな父のことを恨んでもなかったし嫌ってもなかった。
と言うか、私の中では父親という存在意識が薄かったからだと思う。
亡くなる2〜3年前ぐらいかな?交流が復活したのは。。。
祖母の法事がきっかけで。
その頃、もう4回目の奥さんとは別居していた。
寂しかったんかな・・・
病魔に侵される予兆でもあったのかな・・・
時々、ご飯に誘ってくれたり
自分のマンションの掃除のバイトをしないかと言って私を呼びつけたり。
私は当時、血液検査会社で働いていた。
ある日、父から会社で受けた健康診断の結果表を見せられて驚いた。
肝臓関係の数値が尋常ではナイ。
所見にも、必ず精密検査を受けるようにと書かれていた。
それが5月の事。
口うるさく、病院へ行くように言ったのにも関わらず
そのうち行くと言って放置していた父。
その時点で病院に行ったところで、もうすでに手遅れやったんやケド・・・
下血や腹痛などの自覚症状もあるらしく、休み明けにやっと病院へ行く気になった。
当然、即入院だった。
病院から連絡があって
『奥様はいらっしゃらないとの事で、お嬢様にご連絡するようにと
ご本人が仰っいましたもので・・・』 と。
奥様・・・戸籍上は居てるんやケドね。
まぁ、本人がそう言うならそうしておこう。
担当医師から、『肝臓に出来た癌が、もうあちこちに転移していて手術も出来ない状態です』
そして、余命は2ヶ月だと言われた。
本人に告知するかどうか・・・
私は悩んだ末、医師から告知してもらうようお願いした。
そうしないと、父は何の治療もしてくれないことに絶対に納得しないし
色々な面で、整理してもらわないといけない事柄もたくさん抱えているから。
購入して1年しか経っていないマンションがあった。
そして借金もあった。
亡くなってから、私一人で処理するなんて無理がある。
悲しんでいる暇はナイ。
冷たいようだが、それが現実なのだ。
それに治る見込みのナイ、治療の出来ナイ患者は置いておけないと言われていたから
転院させるにはそれなりの理由も本人に告げなければならないし・・・
告知された父は荒れた。
私にはもちろんの事、お見舞いに来てくれる人やナース、同室の患者さん達にまで暴言を吐く。
毎日毎日、そんな父を見てるのが辛かった。
当たり前やよね・・・
死の宣告を受けて、普通の精神状態で居られるワケがない。
痛みも日に日に増してくる。
『こんなやぶ医者アカン!どっかよその病院へ移らせてくれ!!』
色々調べて、ホスピスへの転院を決めた。
あと2ヶ月の命なら、せめて痛みのナイ生活を送らせてやりたい。
転院してからの父は、告知を受けているにも関わらず
ナゼか、ココで病気を治すんだと言出だした。
現実逃避だと思いながらも、その気力で一日でも長く生きられるのならと
私は黙って見守ることにした。
仕事を辞め、毎日病院へ通った。
体調の良い日は、車椅子を押して病院の周りを散歩したり
病院食は不味いと言う父に、弁当を作って行ったり
髭も剃ったり、シャンプーもした。
会社の人や、親戚もたくさんお見舞いに来てくれた。
『誰か来てほしい人居てないん?』
奥さんや私以外の子供に会いたいだろうと思って尋ねたが
父は知らせなくて良いと言った。
そっか。。。じゃ、私が最期までそばにいよう。
相変わらず体調が悪い時は、私に当たる。
もうそんなに長くナイとはわかっていても、私もやり切れない思いになった事も多々あった。
でも。。。
病室での二人だけの時間は、今まで親子として過ごせなかった分を取り戻すために
神様が与えてくれた大事な時間なんだと思うと我慢できた。
父の傍らで居眠りしたこともある。
気が付くと、そんな私をじっと見つめていた。
『おまえも疲れてるやろ・・・俺は大丈夫やからちょっと家に帰って休め』
入院してもうすぐ2ヶ月になる頃だった・・・初めて優しい言葉をかけてくれた。
もうその頃になると、腹水が溜まってお腹もパンパンで
足も浮腫み、トイレに行くのもツライ状態で尿瓶で用を足していたのに・・・
トイレで泣いた。
時々、父の姉が付き添いを代わってくれた。
父の足の先の色が青黒く変色しているのを見て
伯母さんはもう何日も持たないと私に言った。
自分の旦那さんも癌で亡くしているから、その時と同じだと。
それを聞いて、私は病室に泊まり込んだ。
真夜中、急に目を見開き、両手を上げ一生懸命何かを掴もうとしたり
何もナイ場所を指して、『あれ、何や?何か光ってるな』 とかって言い出した。
幻覚を見始めたのだ。
意識が朦朧とする日が続くようになる。
医師からとうとう、あと2〜3日だと告げられた。
父の姉が来て、私は用があってほんの少し外出した。
携帯が鳴って出てみると
ずっと私の名前を呼んでいるから早く戻って来てやってと・・・
まさか・・・
間に合ってよ!
てか、まだ逝かんとってよ・・・
祈る想いで戻ると、父は私の顔を見て安心して
意識が混濁していたのに 『どこ行ってたんや・・・』
力のナイ声で途切れ途切れに言い 手を出してきた。
その手を握って
ゴメン・・・ゴメン・・・もうずっとココにおるから心配せんでええよ。
言いながら涙が止まらない。
父は、うんうんと頷き安心したのかそれから意識がなくなった。
次から次へと父の兄弟や親戚達が集まった。
夕方に意識がなくなったのに、最後に父の弟が駆けつける夜中まで心臓は動いていた。
『兄貴!!頑張らんかい!!』 弟の声に反応して涙を流した父。
全員で父の名前を呼ぶ。
私は親子の交流が復活してからは、ずっと、なんとなく“お父さん”とかって呼べずにいて
父の姉や親戚たちが言うように “まーさん” って愛称で呼んで付き合っていた。
だから、他の患者さんには奥さんか彼女のように思われていたこともあったな(^_^;)
でも最期に、無意識に一緒に暮らしていた頃の呼び方で
パパっ!!と何度も叫んだ。
みんな揃うまで頑張って待っていた父。
好き勝手に生きてきたケド、ほんまはすごく寂しがり屋やったんやよね。
みんなに見守られて旅立てて良かったね。
私も、二人の息子とお嫁ちゃん・孫っちに見守られて逝けたら
自分の人生、最高に幸せだったと思えるだろうな。。。
あっちの世界は寂しくないでしょ?
おじいちゃんもおばあちゃんも居るし、2回目と3回目の奥さんも居るし(苦笑)
もしかして産みの母も居たりするかもね。
あれから10年も経ったなんて思えない。
だけど、あれから10年で私の生活もすっかり変わってしまったよ。
同じような道を歩んでる娘を 『アホやなぁ・・・』 って笑ってるかな?
仕方ナイやん。
だって私はパパの娘なんやもん。。。
でも、私はこれで終わりにするつもりやから見守っててよ。。。(笑)
今までにナイ長文なので、お時間のある方だけお付き合い願います(^_^;)
ジィの母上たちと出かけた時、お仏壇の話題が出た。
うちにも父のお仏壇があるって言うと
『いくつで亡くならはったん?』
まだ私のことをあまりよく知らない母上達(^_^;)
『51で肝臓癌で・・・』
『えぇ!若いなぁ・・・』
今からちょうど10年前の10月28日が命日。
あと10日かぁ。。。
改めて考えると、ホンマに若かったよな。。。
51歳って言ったら、ジィの来年やん(^o^;)
父のことをどっかで書いたかもしれないケド
過去記事を探し切れなかったんで、命日を前にしてちょっと書いておこうと思う。
父は、4度離婚している。
私はしっかりその遺伝を受け継いでるって感じもするが(笑)
最期は結局、一人だった。
彼女は居たケドね(^_^;)
女性関係はホントお盛んで。。。
以前、書いた記事にも笑うしかないエピソードが こちら⇒ 象の背中
私の産みの母とも、父の浮気が原因で私が生後3ヶ月の時に離婚した。
浮気相手と結婚したが、私とは一緒に生活することもなくその相手は亡くなった。
飛び降り自殺だったらしい。
まだ子供の頃に、親戚のおばさんからその話を聞かされた。
理由は知らないケド。。。
そして、3人目との結婚生活で初めて4年間だけ私も一緒に暮らした。
その時のハナシは、 こちら ⇒ 誰も知らない
で、少し触れているし他にもどこかにチョコチョコ書いてると思う。
こんな生活だったケド、私にすれば初めての家族生活。
若くてキレイな継母はそれなりに自慢の人だった。
父と離婚して5年後ぐらいに亡くなったらしいケド・・・。
4回目の結婚では、うちの長男と1ヶ月しか誕生日が変わらない子供まで作った父。
オイオイヾ( ̄o ̄;) と思ったが、考えたら当時まだ38歳やったワケで( ̄m ̄〃)
別におかしいことでもなかったんよね(^_^;)
結婚したのは私が11歳の頃。
すぐに女の子をもうけた。
もちろん一緒には暮らさず。。。
私には合計、3人の腹違いの弟妹がいるってことになる。
知らないトコで他にも居たりして(笑)
そんなこんなで、しばらくは音信不通。
私も結婚したり、離婚したり、再婚したり(笑)
と勝手気ままに生きていたし。
だからと言って、私はそんな父のことを恨んでもなかったし嫌ってもなかった。
と言うか、私の中では父親という存在意識が薄かったからだと思う。
亡くなる2〜3年前ぐらいかな?交流が復活したのは。。。
祖母の法事がきっかけで。
その頃、もう4回目の奥さんとは別居していた。
寂しかったんかな・・・
病魔に侵される予兆でもあったのかな・・・
時々、ご飯に誘ってくれたり
自分のマンションの掃除のバイトをしないかと言って私を呼びつけたり。
私は当時、血液検査会社で働いていた。
ある日、父から会社で受けた健康診断の結果表を見せられて驚いた。
肝臓関係の数値が尋常ではナイ。
所見にも、必ず精密検査を受けるようにと書かれていた。
それが5月の事。
口うるさく、病院へ行くように言ったのにも関わらず
そのうち行くと言って放置していた父。
その時点で病院に行ったところで、もうすでに手遅れやったんやケド・・・
【More・・・】
お盆休みに会った父は、急激に痩せていて黄疸も出ていた。下血や腹痛などの自覚症状もあるらしく、休み明けにやっと病院へ行く気になった。
当然、即入院だった。
病院から連絡があって
『奥様はいらっしゃらないとの事で、お嬢様にご連絡するようにと
ご本人が仰っいましたもので・・・』 と。
奥様・・・戸籍上は居てるんやケドね。
まぁ、本人がそう言うならそうしておこう。
担当医師から、『肝臓に出来た癌が、もうあちこちに転移していて手術も出来ない状態です』
そして、余命は2ヶ月だと言われた。
本人に告知するかどうか・・・
私は悩んだ末、医師から告知してもらうようお願いした。
そうしないと、父は何の治療もしてくれないことに絶対に納得しないし
色々な面で、整理してもらわないといけない事柄もたくさん抱えているから。
購入して1年しか経っていないマンションがあった。
そして借金もあった。
亡くなってから、私一人で処理するなんて無理がある。
悲しんでいる暇はナイ。
冷たいようだが、それが現実なのだ。
それに治る見込みのナイ、治療の出来ナイ患者は置いておけないと言われていたから
転院させるにはそれなりの理由も本人に告げなければならないし・・・
告知された父は荒れた。
私にはもちろんの事、お見舞いに来てくれる人やナース、同室の患者さん達にまで暴言を吐く。
毎日毎日、そんな父を見てるのが辛かった。
当たり前やよね・・・
死の宣告を受けて、普通の精神状態で居られるワケがない。
痛みも日に日に増してくる。
『こんなやぶ医者アカン!どっかよその病院へ移らせてくれ!!』
色々調べて、ホスピスへの転院を決めた。
あと2ヶ月の命なら、せめて痛みのナイ生活を送らせてやりたい。
転院してからの父は、告知を受けているにも関わらず
ナゼか、ココで病気を治すんだと言出だした。
現実逃避だと思いながらも、その気力で一日でも長く生きられるのならと
私は黙って見守ることにした。
仕事を辞め、毎日病院へ通った。
体調の良い日は、車椅子を押して病院の周りを散歩したり
病院食は不味いと言う父に、弁当を作って行ったり
髭も剃ったり、シャンプーもした。
会社の人や、親戚もたくさんお見舞いに来てくれた。
『誰か来てほしい人居てないん?』
奥さんや私以外の子供に会いたいだろうと思って尋ねたが
父は知らせなくて良いと言った。
そっか。。。じゃ、私が最期までそばにいよう。
相変わらず体調が悪い時は、私に当たる。
もうそんなに長くナイとはわかっていても、私もやり切れない思いになった事も多々あった。
でも。。。
病室での二人だけの時間は、今まで親子として過ごせなかった分を取り戻すために
神様が与えてくれた大事な時間なんだと思うと我慢できた。
父の傍らで居眠りしたこともある。
気が付くと、そんな私をじっと見つめていた。
『おまえも疲れてるやろ・・・俺は大丈夫やからちょっと家に帰って休め』
入院してもうすぐ2ヶ月になる頃だった・・・初めて優しい言葉をかけてくれた。
もうその頃になると、腹水が溜まってお腹もパンパンで
足も浮腫み、トイレに行くのもツライ状態で尿瓶で用を足していたのに・・・
トイレで泣いた。
時々、父の姉が付き添いを代わってくれた。
父の足の先の色が青黒く変色しているのを見て
伯母さんはもう何日も持たないと私に言った。
自分の旦那さんも癌で亡くしているから、その時と同じだと。
それを聞いて、私は病室に泊まり込んだ。
真夜中、急に目を見開き、両手を上げ一生懸命何かを掴もうとしたり
何もナイ場所を指して、『あれ、何や?何か光ってるな』 とかって言い出した。
幻覚を見始めたのだ。
意識が朦朧とする日が続くようになる。
医師からとうとう、あと2〜3日だと告げられた。
父の姉が来て、私は用があってほんの少し外出した。
携帯が鳴って出てみると
ずっと私の名前を呼んでいるから早く戻って来てやってと・・・
まさか・・・
間に合ってよ!
てか、まだ逝かんとってよ・・・
祈る想いで戻ると、父は私の顔を見て安心して
意識が混濁していたのに 『どこ行ってたんや・・・』
力のナイ声で途切れ途切れに言い 手を出してきた。
その手を握って
ゴメン・・・ゴメン・・・もうずっとココにおるから心配せんでええよ。
言いながら涙が止まらない。
父は、うんうんと頷き安心したのかそれから意識がなくなった。
次から次へと父の兄弟や親戚達が集まった。
夕方に意識がなくなったのに、最後に父の弟が駆けつける夜中まで心臓は動いていた。
『兄貴!!頑張らんかい!!』 弟の声に反応して涙を流した父。
全員で父の名前を呼ぶ。
私は親子の交流が復活してからは、ずっと、なんとなく“お父さん”とかって呼べずにいて
父の姉や親戚たちが言うように “まーさん” って愛称で呼んで付き合っていた。
だから、他の患者さんには奥さんか彼女のように思われていたこともあったな(^_^;)
でも最期に、無意識に一緒に暮らしていた頃の呼び方で
パパっ!!と何度も叫んだ。
みんな揃うまで頑張って待っていた父。
好き勝手に生きてきたケド、ほんまはすごく寂しがり屋やったんやよね。
みんなに見守られて旅立てて良かったね。
私も、二人の息子とお嫁ちゃん・孫っちに見守られて逝けたら
自分の人生、最高に幸せだったと思えるだろうな。。。
あっちの世界は寂しくないでしょ?
おじいちゃんもおばあちゃんも居るし、2回目と3回目の奥さんも居るし(苦笑)
もしかして産みの母も居たりするかもね。
あれから10年も経ったなんて思えない。
だけど、あれから10年で私の生活もすっかり変わってしまったよ。
同じような道を歩んでる娘を 『アホやなぁ・・・』 って笑ってるかな?
仕方ナイやん。
だって私はパパの娘なんやもん。。。
でも、私はこれで終わりにするつもりやから見守っててよ。。。(笑)
●
虹♪ | 2008.10.18(土) 21:18 | URL | コメント編集
●
私の父も肝臓癌でした。4年前かな・・・
私の父も3度位離婚再婚繰り返してね。それも全部同じ母と(笑
なんか境遇は似てるね。異父母兄弟は居ないけど(o´艸`)プ
思えば我が家は先祖代々離婚経験アリなのですわ
私の曾祖母、祖母、母、伯母とその娘、私。唯一離婚してないのが姉だけ。
曾祖母が子連れ(祖母ね)再婚だったもんだから曾祖父という人は血のつながりがないのよ。
うちが本家だから仏壇には血のつながりのない曾祖父の写真もあるし。しかも私が生まれる前に亡くなってるから余計にぜんぜん関係ない人というか((´・艸・`;)ぁぁぁ
だからかわが先祖の呪いか?先祖代々男は養子だしね。家に男がいるとつぶれるらしいんよ。
弟も30代で死んだしね。姉は結婚して大阪から離れたから無事平穏なのか?
ってこのコメントも長文だわねキャハハ(≧∀≦))ノ彡★バンバン
私の父も3度位離婚再婚繰り返してね。それも全部同じ母と(笑
なんか境遇は似てるね。異父母兄弟は居ないけど(o´艸`)プ
思えば我が家は先祖代々離婚経験アリなのですわ
私の曾祖母、祖母、母、伯母とその娘、私。唯一離婚してないのが姉だけ。
曾祖母が子連れ(祖母ね)再婚だったもんだから曾祖父という人は血のつながりがないのよ。
うちが本家だから仏壇には血のつながりのない曾祖父の写真もあるし。しかも私が生まれる前に亡くなってるから余計にぜんぜん関係ない人というか((´・艸・`;)ぁぁぁ
だからかわが先祖の呪いか?先祖代々男は養子だしね。家に男がいるとつぶれるらしいんよ。
弟も30代で死んだしね。姉は結婚して大阪から離れたから無事平穏なのか?
ってこのコメントも長文だわねキャハハ(≧∀≦))ノ彡★バンバン
aki@pc | 2008.10.19(日) 11:33 | URL | コメント編集
●虹♪ちゃんへ
自分の生い立ちや人生などは、他人に知られたくないと
隠して生きて行く人も多いと思うケド
私は、結構何でも話してしまうタイプ(笑)
ネットだけじゃなく、リアルでも離婚経験とかもバンバン言っちゃう(≧m≦)
聞かされる方は反応に困って迷惑かもだけど(^_^;)
太く短く。。。
確かにそうかもね( ̄m ̄〃)
自分の人生の幕引きが早いっ
無意識な部分で本能が働いていたのかも。。。
親戚に葬儀の席で言われました。
『あいつは人生、好きなように生きて悔いはなかったやろ・・・』 と。
周りから見ればそう思われるだろうケド
やっぱりまだまだやりたいことはあったんじゃナイかな。
親を看取るってツライけど
虹♪ちゃんも私も亡くなるまでの時間を、一緒に過ごせて
元気なら決して出来ナイようなことをさせてもらって
ある意味、良い経験だったと思うよね。。。
虹♪ちゃんは親孝行してるじゃない!
お墓参りもきっちり行ってるし
いつもお仏壇にいるご両親のことを気にかけてるし(^^)
実母とは私が20歳の時に必死で探して、一度だけ会ったよ。
それ以降、また連絡も取れなくなってしまったケド
彼女も波乱万丈な人生な人だから、どこかで苦労しながら生きてるかもね(^_^;)
長い文章にお付き合い頂きありがとです(^^)
隠して生きて行く人も多いと思うケド
私は、結構何でも話してしまうタイプ(笑)
ネットだけじゃなく、リアルでも離婚経験とかもバンバン言っちゃう(≧m≦)
聞かされる方は反応に困って迷惑かもだけど(^_^;)
太く短く。。。
確かにそうかもね( ̄m ̄〃)
自分の人生の幕引きが早いっ
無意識な部分で本能が働いていたのかも。。。
親戚に葬儀の席で言われました。
『あいつは人生、好きなように生きて悔いはなかったやろ・・・』 と。
周りから見ればそう思われるだろうケド
やっぱりまだまだやりたいことはあったんじゃナイかな。
親を看取るってツライけど
虹♪ちゃんも私も亡くなるまでの時間を、一緒に過ごせて
元気なら決して出来ナイようなことをさせてもらって
ある意味、良い経験だったと思うよね。。。
虹♪ちゃんは親孝行してるじゃない!
お墓参りもきっちり行ってるし
いつもお仏壇にいるご両親のことを気にかけてるし(^^)
実母とは私が20歳の時に必死で探して、一度だけ会ったよ。
それ以降、また連絡も取れなくなってしまったケド
彼女も波乱万丈な人生な人だから、どこかで苦労しながら生きてるかもね(^_^;)
長い文章にお付き合い頂きありがとです(^^)
チーたま★虹♪ちゃんへ | 2008.10.20(月) 08:25 | URL | コメント編集
●akiさんへ
ホンマにakiさんとは、色んな部分で似てるとこ多いですよね〜( ̄m ̄〃)
まさか、お父様の亡くなった病気まで同じだったとは(笑)
でも、同じ女性(お母様)と何度も離婚・再婚するなんて
ナンダカンダ言っても愛してたってことですよね(*^。^*)
離婚家系ってやっぱりあるんやね(笑)
曾祖母さんや、祖母さんの世代で離婚ってのは
今と違って何かと世間から悪く言われたやろうなぁ。。。と思います(^o^;)
うちも母方はどうか知らないケド
父の姉弟も5人いて、離婚してないのは一人だけだし
その子供達(私からすればいとこ)も、半分以上は離婚してる(≧m≦)
次の世代(私達の子供)には、どうかその因縁を断ち切ってもらいたいわ(^_^;)
長文にお付き合い頂きありがとうございました☆
長いコメント大歓迎です(≧∇≦)ノ彡
まさか、お父様の亡くなった病気まで同じだったとは(笑)
でも、同じ女性(お母様)と何度も離婚・再婚するなんて
ナンダカンダ言っても愛してたってことですよね(*^。^*)
離婚家系ってやっぱりあるんやね(笑)
曾祖母さんや、祖母さんの世代で離婚ってのは
今と違って何かと世間から悪く言われたやろうなぁ。。。と思います(^o^;)
うちも母方はどうか知らないケド
父の姉弟も5人いて、離婚してないのは一人だけだし
その子供達(私からすればいとこ)も、半分以上は離婚してる(≧m≦)
次の世代(私達の子供)には、どうかその因縁を断ち切ってもらいたいわ(^_^;)
長文にお付き合い頂きありがとうございました☆
長いコメント大歓迎です(≧∇≦)ノ彡
チーたま★akiさんへ | 2008.10.20(月) 08:39 | URL | コメント編集
●
こんばんは〜
お父様お若かったのね。
よつ葉と同じ年代です。(あらっ・・年が・・)
チーたまさんがず〜と一緒にいてくれてパパさん安心して天国へ行かれたのでしょうね。
実話なのに小説読んでいるように引き込まれて・・・あっという間に
読み終わりました。
天国からパパが見守っているでしょうね。
お父様お若かったのね。
よつ葉と同じ年代です。(あらっ・・年が・・)
チーたまさんがず〜と一緒にいてくれてパパさん安心して天国へ行かれたのでしょうね。
実話なのに小説読んでいるように引き込まれて・・・あっという間に
読み終わりました。
天国からパパが見守っているでしょうね。
よつ葉ばば | 2008.10.20(月) 21:39 | URL | コメント編集
●
人にはそれぞれ生きてきた歴史があります。
それは、人、一人一人が違うって事ですよね。
人からみれば、楽な人生に見えたり、壮絶に見えたり。
でも、全ての人が何かしら苦悩して生きているんだと思います。
だから、その人生を否定なんて出来ない。
私の父は、私が高校3年生の夏休みが終わってすぐに喉頭癌で亡くなりました。それまで3年近く闘病生活でした。
最期の方では、口から吹き出した血が病室の壁一面を赤く染めたり…。
でも、父は最期まで闘ったんだと思います。
当時は、その状況をまだ漠然としか見ていなかった私ですが、今となっては、チーたまさんのように付き添って2人だけの時間を過ごせた事って、ある意味幸せなのかもしれないと思えます。
私の場合は、付き添いも世話も母と姉がしていましたので。
まだ高校生だった私は、一人前の人間として父と関わった記憶がありません。
今でも、それに悔しさを感じています。
それは、人、一人一人が違うって事ですよね。
人からみれば、楽な人生に見えたり、壮絶に見えたり。
でも、全ての人が何かしら苦悩して生きているんだと思います。
だから、その人生を否定なんて出来ない。
私の父は、私が高校3年生の夏休みが終わってすぐに喉頭癌で亡くなりました。それまで3年近く闘病生活でした。
最期の方では、口から吹き出した血が病室の壁一面を赤く染めたり…。
でも、父は最期まで闘ったんだと思います。
当時は、その状況をまだ漠然としか見ていなかった私ですが、今となっては、チーたまさんのように付き添って2人だけの時間を過ごせた事って、ある意味幸せなのかもしれないと思えます。
私の場合は、付き添いも世話も母と姉がしていましたので。
まだ高校生だった私は、一人前の人間として父と関わった記憶がありません。
今でも、それに悔しさを感じています。
紫うさぎ | 2008.10.21(火) 08:28 | URL | コメント編集
●よつ葉ばばさんへ
長文にお付き合い頂きありがとうございました(^^)
私は、父が21歳・母が20歳の時に生まれたので
よつ葉さんと同じ年代なのに、こんなに歳を食った子供です(笑)
亡くなった当時も、まだ逝ってしまうには早すぎる年齢だとは思いましたが
ジィがその歳に近づいてきて、改めて若すぎる死だったなぁと感じます。
短い一生の中での、ほんのわずかだけの親子関係でしたが
最期に頼ってくれてある意味、嬉しかったです。
私は、父が21歳・母が20歳の時に生まれたので
よつ葉さんと同じ年代なのに、こんなに歳を食った子供です(笑)
亡くなった当時も、まだ逝ってしまうには早すぎる年齢だとは思いましたが
ジィがその歳に近づいてきて、改めて若すぎる死だったなぁと感じます。
短い一生の中での、ほんのわずかだけの親子関係でしたが
最期に頼ってくれてある意味、嬉しかったです。
チーたま★よつ葉ばばさんへ | 2008.10.21(火) 09:06 | URL | コメント編集
●紫うさぎさんへ
父の人生を、周りは
『好き勝手に生きたんやから、悔いもナイやろ』 と、よく言われました。
他人から見れば確かにそうかもしれませんが
まだまだやりたいことはたくさんあったと思います。
一度きりの人生。
好きなように生きて何が悪い!!って思います(^_^;)
紫うさぎさんのお父様も大変だったんですね・・・
闘病生活が長いと、本人はもちろん周りもツライと思います。
うちはたったの2ヶ月でしたが、苦しむ期間が短かったから
ある意味良かったんじゃないかな。。。
紫うさぎさんが感じたように
自分が看病できる年齢・環境でホントに良かったと思います。
それまで親子としての時間も記憶もほとんどなかったので
あの2ヶ月間で30年分を埋められました。
『好き勝手に生きたんやから、悔いもナイやろ』 と、よく言われました。
他人から見れば確かにそうかもしれませんが
まだまだやりたいことはたくさんあったと思います。
一度きりの人生。
好きなように生きて何が悪い!!って思います(^_^;)
紫うさぎさんのお父様も大変だったんですね・・・
闘病生活が長いと、本人はもちろん周りもツライと思います。
うちはたったの2ヶ月でしたが、苦しむ期間が短かったから
ある意味良かったんじゃないかな。。。
紫うさぎさんが感じたように
自分が看病できる年齢・環境でホントに良かったと思います。
それまで親子としての時間も記憶もほとんどなかったので
あの2ヶ月間で30年分を埋められました。
チーたま★紫うさぎさんへ | 2008.10.21(火) 09:46 | URL | コメント編集
●いかん・・・・
仕事中に読んでしまった。。。
しかも激泣き中・・・
チーたまさんのお父さん、皆に見守られて
よかった。。。。
私の父は存命だけど・・・
離婚の時、自分の両親ととってももめて。。。
今はなんとか仲直りしたので
もっともっと親孝行しなければ。と思いました。
しかも激泣き中・・・
チーたまさんのお父さん、皆に見守られて
よかった。。。。
私の父は存命だけど・・・
離婚の時、自分の両親ととってももめて。。。
今はなんとか仲直りしたので
もっともっと親孝行しなければ。と思いました。
albicocca | 2008.10.24(金) 17:55 | URL | コメント編集
●albicoccaさんへ
仕事中に、こんな長文を読んでもらってありがとです(^^ゞ
父の看病や最期を看取るってのは
悲しくてツライ経験だったケド
親子関係が希薄だった分、すごく厚い想いで一緒に居られることが出来て
ある意味良かったと思ってます。
親戚にも色々迷惑かけた父。
でも、ナゼか憎めない性格だったらしく(笑)
最後はみんな駆けつけてくれて、人柄って大事だなと思ったり。。。
親子って、どれだけ喧嘩したりお互いに嫌な思いをし合っても
完全に縁を切るなんて出来ナイし、恨みや憎むって感情は
いつしか薄くなるもんだと思う。。。
ご両親と仲直りして良かった(^^)
これからでも遅くナイ!
親孝行は、自分孝行でもあると思います。
何もしてやれなかった・迷惑ばかりかけたって
後から後悔して自分を責める材料はナイ方がいいもの☆
父の看病や最期を看取るってのは
悲しくてツライ経験だったケド
親子関係が希薄だった分、すごく厚い想いで一緒に居られることが出来て
ある意味良かったと思ってます。
親戚にも色々迷惑かけた父。
でも、ナゼか憎めない性格だったらしく(笑)
最後はみんな駆けつけてくれて、人柄って大事だなと思ったり。。。
親子って、どれだけ喧嘩したりお互いに嫌な思いをし合っても
完全に縁を切るなんて出来ナイし、恨みや憎むって感情は
いつしか薄くなるもんだと思う。。。
ご両親と仲直りして良かった(^^)
これからでも遅くナイ!
親孝行は、自分孝行でもあると思います。
何もしてやれなかった・迷惑ばかりかけたって
後から後悔して自分を責める材料はナイ方がいいもの☆
チーたま★albicoccaさんへ | 2008.10.24(金) 19:02 | URL | コメント編集
●
お父様にとって最期に一番大切だったのは、チーたまさんだったのですね。
自分の親父と重なるところがあって、涙出てきました。
11年前に、ウチの親父も肝臓癌で49歳で亡くなりました。
いくつかの家庭と女性、財産とそれを数倍上回る負債を残し、
去っていったウチの親父。
親父のような生き方はしないし、出来ないと思ってましたが、
今の自分と同じ年齢の頃の親父と比べると、自分はどの程度の男なのか。
親父の命日の度に考えます。
自分の親父と重なるところがあって、涙出てきました。
11年前に、ウチの親父も肝臓癌で49歳で亡くなりました。
いくつかの家庭と女性、財産とそれを数倍上回る負債を残し、
去っていったウチの親父。
親父のような生き方はしないし、出来ないと思ってましたが、
今の自分と同じ年齢の頃の親父と比べると、自分はどの程度の男なのか。
親父の命日の度に考えます。
atom | 2008.11.13(木) 02:32 | URL | コメント編集
●atomさんへ
以前から、よく似た境遇だとは聞いてましたが
父親の死因や、取り巻く環境・年代までもがここまで似ているとは(^_^;)
atomさんを他人のように感じません(笑)
うちの父にも息子は居ました。
私にとっては初めて出来た弟。
父が亡くなって、相続関係の手続きのために会った時
atomさんと同じようなことを言ってました。
『あの人のような生き方はしない』と。。。
その言葉通り、二人の子供と奥さんを大切にして幸せな家庭を築いています。
弟を育てたおばぁさんは施設に入ってますが
しょっちゅう面会に行き、孝行しているようですし。。。
反面教師が自分の父親ってのは、複雑な想いもあるでしょうが
atomさんも弟も、それがあるからこそ
今の幸せを大事に出来るんだと思います。
私は同じような道を歩んでしまってるケド(苦笑)
ま、それはそれで父の生き方を理解できるようになれたってことで
悪くはナイかなと(笑)
父親の死因や、取り巻く環境・年代までもがここまで似ているとは(^_^;)
atomさんを他人のように感じません(笑)
うちの父にも息子は居ました。
私にとっては初めて出来た弟。
父が亡くなって、相続関係の手続きのために会った時
atomさんと同じようなことを言ってました。
『あの人のような生き方はしない』と。。。
その言葉通り、二人の子供と奥さんを大切にして幸せな家庭を築いています。
弟を育てたおばぁさんは施設に入ってますが
しょっちゅう面会に行き、孝行しているようですし。。。
反面教師が自分の父親ってのは、複雑な想いもあるでしょうが
atomさんも弟も、それがあるからこそ
今の幸せを大事に出来るんだと思います。
私は同じような道を歩んでしまってるケド(苦笑)
ま、それはそれで父の生き方を理解できるようになれたってことで
悪くはナイかなと(笑)
atomさんへ★ | 2008.11.13(木) 08:34 | URL | コメント編集
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私、随分とぬくぬく生きてきたもんだな…。
チーたまちゃんのお父様、密度の濃い人生だったのね。
文字通り、太く短く。
子供たちの中で、一番チーたまちゃんを可愛がっていたのだと思います。
だから、最後、一緒にいたかったのよね。
私もね、父が亡くなるまでの数日間、泊り込みました。
出来る限り手を握って、それまでスキンシップなんてなかったのに。
黄疸から肺炎になりずっと高熱だった父の手はとても熱く、私には辛かった。。。
きっとね、見守っていると思うよ。
私の両親もね、あまりに娘が心配らしくて(笑)
私ってば親孝行出来てませんね〜。
あと、チーたまちゃんの実母様。
生きていらっしゃいますよ。